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1年 第2回講座 郷土の地形と成り立ち

IMG_5769n中島洋一課長私たちの知らない太古の行田の姿から、弥生時代の先進的水田耕作地域であった行田の姿、古墳時代までの講義でした。講師は、行田市文化財保護課長中島洋一課長。

まず、私たちが住んでいる行田市は、熊谷側の妻沼低地と武蔵水路側の加須低地にまたがっていること、難解な地形ではあるが、妻沼低地は米を作るのによい土地であり、熊谷バイパスができるまでは、埼玉県内で一番広い耕地でした。

次に、20万年前からの関東地方の地形の移り変わり、「大宮台地」が舘林まで続いていたこと、途中で「舘林台地」と別れ、15,000年前に行田に人が住み始めたこと、石器を作るときにできた黒曜石のカケラが長野中の校庭から出土したことなどを聞きました。旧石器時代の行田の人々です。

12,000年~3,500年前の縄文時代前期は行田の中央(馬場裏遺跡)に北埼玉最大の大きなムラがあったこと、中期は「みらい」近くの諏訪山遺跡に大きいムラがあったこと,利根川が今の位置ではありませんでした。

IMG_5772縮小遺跡

弥生時代は行田は洪水地帯のため人が余り住まず、行田と熊谷にかけての池上・小敷田遺跡で本格的なコメ作りが始まり、北関東で最も早く米作りを行いました。

IMG_5782遺跡

1,600年~1700年前の古墳時代には、利根川・荒川の動きがかわって、農耕に良い土がたまり、水運が良くなりました。洪水の心配にない肥沃な土地にに人々が集まり、小さなムラから豪族のいる大きなムラになり、さきたま古墳群が作られました。

 

IMG_5784旗指物

稲荷山鉄剣や埴輪の馬の旗指物の話まで、興味深いお話をたくさん聞いて、受講生も大いに知識欲を満たされ、行田を深く知ることができた講義でした。

 

 

2019年5月16日 木曜日 at 7:24 pm| Posted by mizuide